ぶいふぇべうふ

昔プレイしたゲームだったりの感想をかいてます。

Horizon Zero Dawnをプレイした感想

よかった点

・主人公の養父など、一部の魅力的なキャラクターたち。

残念だった点

・操作感、プレイ環境でストレスを感じやすく、ゲームとしての根幹の部分で改善の余地が大いにある。

・エンターテインメント、大衆娯楽として熟成しきれていない。

・プレイヤーに対して、本当の意味で寄り添う姿勢が不足している。

まとめ

もしこのゲームが、開発スタジオのゲリラゲームズのインディーズ的な立ち位置の作品であるとするのならば、いくらでも前向きな評価はできるだろう。
しかし、業界のリーダーでもあるソニー(SIE)が世に放つエンターテインメント、大作RPGとして考えると、厳しい評価をせざるを得ない。


まずもって日本のアクションゲームなどと比べると操作性は良くない。
説明の字も小さく、この作品の売りのひとつである美麗なグラフィックも、画面全体が薄暗くて見づらく、その恩恵を受けにくい。


オープンワールドといっても割と単調で、プレイヤーが自由にできることは決して多い訳ではない。この作品はかなり一本道なストーリー重視のRPGである。その意味において、語弊を恐れずに言えば、この作品は「ファイナルファンタジー」に似ている。

ストーリーやキャラクターについては、一定水準に達していると思う。
しかし、日本のアニメやコミックに慣れ親しんでいる人たち、もしくは海外のSFやファンタジー小説が好きな人たちにはさして目を瞠るものは無いだろう。
作中に出てくる「禍ツ機」などは、「もののけ姫」などの影響を、個人的には強く感じた。

作中には主人公の養父のロスト、ストーリー上重要人物のサイレンスなど魅力的なキャラクターが存在するが、残念ながら彼らについて物語で深く掘り下げられることはない。


だがこの作品の問題点は、ストーリーやキャラクターではなく、ゲームとしての根幹の部分であろう。

主人公は槍や弓矢で戦うことが多い。つまり槍や弓矢を扱うことは、このゲームの中で最もプレイヤーが為す行為の一つでもある。
しかし、槍で突いて払う、もしくは弓をひいて矢を放つという行為が作中においていかにも軽い。
つまり操作していて、弓をひいた、矢を放ったという実感が得難い。作中におけるアクションギミックが未熟である、ということであろう。

よく「神は細部に宿る」というような言葉を聞くが、こうした細かい点のこだわりと積み重ねこそが良い作品をを生み出すはずだから、作り手はそうした努力を惜しむべきではないと思う。


そして、この作品で一番閉口したのはロッククライミング要素である。
この要素はゲームの進行する上で避けて通れず、頻繁に登場するので、どうやら制作者のお気に入り要素と見受けられるが、登れる場所などが非常に分かり辛い。先にも述べた通り画面が薄暗く、さらに夜になったりすると非常に見えにくい。

広大なオープンワールド上で、ロッククライミングが可能な場所に行っても何のアイコンも表示されないのである。
特別なアクションが可能な場所に行くとそれに対応したアイコンとコントローラーボタンが表示されるという事は、現在のゲームにおいては何ら珍しくないことであると思うが、それに対応していないというのは如何なものか。


最後に、私がこのゲームの攻略に手間取っている間に新しいアップデートができて、最も簡単な難易度のSTORYという難易度が新たに出来た。こちらでプレイするとほとんど主人公が無敵状態でサクサクと物語が進んだ。
しかし私が作り手に望んでいるのはそういうことではない。

プレイヤーに本当の意味で親切であることと、プレイヤーを「甘やかす」ことは、似ているようで全く違うことである。
「甘やかす」という行為は、ある意味相手を馬鹿にしていると捉えられても仕方のないものだろう。
これは教育などの生徒への対応でも言えるのではないか。
子供の人格や自主性を尊重することと、子供を甘やかし自由放任にすることは全く別である。

ゲームを取り巻く環境においても、どのような状況が、パブリッシャー、クリエイター、ゲームユーザーにとってそれぞれ最善であるのか?
責任のある立場の方に、是非こうした事について少しでも考えていただけたら幸いである。